市川海老蔵さんが1月14日に歌舞伎座で会見を行い、来年2020年5月に十三代目団十郎を襲名し「市川団十郎 白猿」と名乗ると発表しました。同時に長男である堀越勸玄(かんげん)君も八代目市川新之助を襲名するそうです。今回は歌舞伎の市川家が名門と言われるのかその理由と、またなぜ成田屋と呼ぶようになったのか調べてみました。



そもそも歌舞伎のはじまりは・・・

1603年、出雲大社の巫女であった阿国(おくに)が、京都に上り男装をして踊りました。

それを当時、男装し奇抜な服装をして世間の秩序に反して行動する「かぶき者」と呼び、阿国の踊りは「かぶき踊り」とよばれ人気を得たそうです。この、阿国の「かぶき踊り」が歌舞伎の始まりだと言われています。

そして、この京都で人気になった「かぶき踊り」を、さらに演劇的に発展させて江戸歌舞伎として発展させたのが初代の市川団十郎だとと伝えられていて、その市川団十郎が得意とされているのが「荒事(あらごと)」です。

荒事とは

荒事は、見得(みえ)や六方(ろっぽう)などの演技や隈取(くまどり)などの扮装をして豪快で力強い芸で正義のヒーローを演じる事をいいます。

成田屋と呼ばれるようになった理由

歌舞伎の舞台で市川団十郎が踊りを踊っていると「成田屋」と声がかかりますが、なぜ市川家は成田屋と呼ばれるようになったのでしょうか。

初代の市川団十郎が子宝になかなか恵まれなくて、その父が成田山新勝寺(千葉県成田市)の近くの出身だったので子宝祈願をしたところ、二代目団十郎を授かりました。

それに大変感謝した団十郎は、成田不動明王山という芝居を上演しました。これが大盛況。客席から「成田屋!」と声がかかり、このことが成田屋と呼ばれるようになったきっかけだと言われています。